われわれは何を目指すべきか  2011.9.3  

     
景観と住環境を考える全国ネットワークin千葉

       代表 日 置  雅 晴
     
(弁護士・早稲田大学法科大学院教授)

1 東日本大震災の経験を踏まえて

 東日本大震災と原発事故,この体験が価値観を変えたという人が大勢います。

 これまでほとんどの日本人は,土地の価値はいろいろな財産の中で確実なものであり,その価値が失われることはないと考えてきたと思います。

 バブルの崩壊以後,特に地方においてはそのような価値観はもはや幻想であり,誰も利用しない土地が激増していたのですが,今回の震災は改めてそのことを思い知らせると共に,建物という財産も,自然の力の前に簡単に消滅することを改めて突きつけました。

   今回の震災は,「不動産」なるものが,実はそれほど安全なものでも何でもなく,リスクの高いものであることを改めて我々に突きつけました。

 東北は言うに及ばず,首都近郊でも地盤の液状化により多数の住宅が被害をうけたことからも,改めて日本の土地神話が終わったことを思い知らされたと思います。

 巨大な防潮堤などもあっさりと自然の力にひれ伏しました。

 また,現代の便利な生活,豊かな生活を我々が送ることができる前提に,大量の石油やエネルギーを安価に,自由に使えるという前提があったことを原発事故や地震後のガソリン不足,停電などは改めて気づかされました。

 エネルギーの制約がある中では,高層建築などは成り立たないことや,弱者が一番大変な思いをすることなど,これまで当然としていた前提が少し変わるだけで,これまでの制度設計が根本的に成り立たなくなることも経験しました。

 不動産に絶対的な安心感や経済的価値がないこと,エネルギーの制約も考えざるを得ないことが改めて明らかになった中で,我々は何を都市に求めるべきでしょうか。

 ここに来て,我々はこれまで当然のように何十年も作り続け,拡大してきた都市や社会のあり方を,根本からこれで良いのかと考えてみなくてはいけなくなったように思います。

 将来の土地価格も不透明,エネルギー供給も不透明,そんな中で,何を重視して都市や町を作っていくべきか,それはやはりコミュニティー以外にはないと思います。

 震災前からそれなりのコミュニティがあったところでは,それが復興にもつながって動き始めています。コミュニティがしっかりと形成されていれば,例え住宅が損なわれても,地域の住民の中からリーダーが生まれ新たな再建に向けた繋がりが動き出します。

 それが失われている地域では,全て行政に依存し,与えられた再建案に従うしかありません。すでに我々は神戸からそういう状況を学んだはずでしたが,改めて地域コミュニティが存続し,強化できるようなまちづくり,都市作りの大切さを思い知らされました。

 とはいえ,神戸とは時代も変わり,地域も異なり,少子高齢化や過疎化など,これまでの価値観では簡単には解決できそうもない重い課題が突きつけられました。

 しかしこれも,最後は新たな時代のコミュニティー以外に解決する主体はないのではないでしょうか。

 被災地に限らず,我々が直面する建築紛争でも,その地域のコミュニティのあり方が問われています。本当に充実したコミュニティが形成されて将来を見通していれば,適切な規制を率先して創造するなど,紛争を未然に防ぐことも可能です。いろいろな地域で,地区計画の制定運動やまちづくり条例の制定運動など,そういう試みも動き始めています。
 コミュニティが不十分なところでは,なかなか適切な運動も形成が困難です。しかし,ひどい事例が登場して初めてコミュニティ意識に目覚める,これは震災を経験して初めて重要な問題に気づくのと同じでことだと思います。起こる前に気づいていればもちろんそれに越したことはないのですが,起こってからでもそこに気づき,新たな被害経験を踏まえたコミュニティが形成できるか否か,それこそが過ちを繰り返さないという出発点ではないでしょうか。
 

 2 福島原発事故を踏まえて

  福島原発の事故は,更に文明のあり方を我々に突きつけたと言えるでしょう。

 巨大な原子力による集中したエネルギーを使うことによる,巨大な都市と無限にあるかのようなエネルギーを前提とした暮らし。それが,極めて大きなリスクを伴っていることを原発事故は我々に突きつけました。

 経済効率だけを考えれば,一極集中は効率が良いかもしれません。しかし,いざというときにその中心部が損なわれた場合には,極めて大きなダメージが生じることは,原発でも,巨大都市でも,超高層巨大マンションでも同様だと思います。

 多少経済効率が低くても,分散したエネルギー,分散した都市,規模の大きくない自分の足で上がれる範囲の住宅,こういった仕組みのもつ分散したリスクを見直す必要があります。

 考え様によっては,一極集中はすでに何十年も前のテクノロジーの反映です。今の新たなエネルギーや生活スタイル,低層居住の技術などを反映すれば,実は環境まで含めた真のコスト面でも新たな生き方の方が安いのかもしれません。

 しかし,一度作られた社会のシステムを変えるのは,変更によるリスクを恐れる人が多いこともあり容易なことではありません。

 それに加えて,エネルギーから都市のあり方,建築のあり方,人生のあり方,これらは全て連関しています。

 超高層マンションも,単に景観破壊や乱開発と言うだけの視点ではなく,停電時の安全の問題,長周期地震による問題,老朽化した場合の建て替えの問題,周辺の他の居住者とのコミュニティの連続性確保の問題など様々な視点で,これが許容可能かどうかを改めて考える必要があると思います。

 我々は,建築と都市のあり方をこれまで中心にして考えてきましたが,これからはいかに生きるかというところまで視点を広げて,将来を見据えていくべきではないでしょうか。

 それがない限り,大胆なパラダイムシフトは不可能ではないでしょうか。 

3 この間の政治の動きを踏まえて

 自民党から民主党への歴史的な政権交代から約2年が経過しました。率直に言って,この間の民主党による政治は,多くの市民の期待を裏切ったと言っても過言ではないでしょう。今回の総理交代を見ても,前面に出てきたのは,政策論争ではなく,様々な人事の駆け引きに終始したと言えます。

 次回の衆議院選挙まで,今の国会のねじれ状態も,このような閉塞状態も大きくは変わらないと思います。

 我々の願いであった,建築法制度の抜本的改革,確認から許可へという動きも,残念ながらこのような政治情勢の元で,すぐに進展する可能性はあまりないのが現実です。

 新しい国土交通大臣,前田さんという人だそうですが,少なくともこれまで我々がほとんど名前すら聞いたことのない人のように思います。

 実績も考え方も存じ上げないで何かを言うこともどうかと思いますが,元建設官僚と言うことですが,少なくともその後都市作りやまちづくりなどにこれまでほとんど縁がなかった人が就任するという点だけを取ってみても,適切な人事なのか疑問を持ちます。

 しかし,このような閉塞状態は,我々の運動だけが直面しているのではありません。

 多くの市民運動が,政治の壁にぶつかっています。

 次にどのような政権が登場するのか,それに我々がどう関るべきなのか,それは1人1人が問われるべき問題であり,それぞれが関わり方を考えるしかありません。

 それと同時に,最後には政治が変わらないと,我々の主張は貫徹できない,このことを念頭に置いて,政治との関係をそれぞれが考えながら運動を進めて行かなくてはならないと思います。

4 景住ネット発足からの活動を踏まえて

 いろいろと,重い課題ばかり提示しました。

 しかし,景住ネットが設立されてまだわずか3年です。
 

その間に,九州で,関西で,首都圏で,それぞれ地域の地道な取り組みが継続され,個別の紛争や条例の制定,高度地区指定など様々な活動が蓄積されてきました。

 この種の市民の動きについては,いくつか情報交流の場はあったものの,幅広くかつ気軽に市民が参加し,情報を交換し,かつ専門家と議論しあえる場が,全国規模で作られたのは目新しいことだと思います。

 われわれの究極の目的の,法改正はそう簡単ではありませんが,地道な活動の中で,蓄積された経験や人脈は,決して小さくはないと思います。

 先に掲げた様々な困難,この克服は容易ではありません,しかしこれらの問題は,我々が目指すべき制度改革とその先にある「安心・安全・美しい街」が,建築や都市計画だけにとどまっていてはできないことを突きつけると共に,より広範な問題解決の視点を持って取り組むことで,連動する多くの社会システムが変わりうること,変えなくてはいけないことを明らかにしたと思います。

 この3年,我々の活動を積み重ねる中で,そして今回の震災を経験することで見えてきた日本の社会や政治,経済の様々な問題,これに対して改めて当初の理念「21世紀の都市作り」を考え続けることでわれわれは展望を切り開いていくしかないことを確認できた気がします。

 パラダイムは変わりつつある,しかし我々が最初に掲げた理念は,何ら変える必要はないと言うことを最後に申し上げたいと思います。

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